複製 掛軸 宋徽宗 蝋梅山禽図 中国二玄社

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複製 掛軸 宋徽宗 蝋梅山禽図 中国二玄社

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本紙 82.5cm×52.5cm
本体 188cm×55cm

以下引用

作家情報
徽宗 きそう(1082?1135)

中国、北宋(ほくそう)の第8代皇帝(在位1100?1125)。名は佶(きつ)。第6代神宗の第11子であるが、兄の第7代哲宗に子がなかったので、哲宗の死後、帝位についた。初め向(しょう)太后が摂政となり、新法と旧法とを折衷する政治を行ったが、翌年太后が亡くなって親政すると、新法を継承して、旧法党の官僚を徹底的に弾圧した。しかし政治にはあまり熱心でなく、宰相蔡京(さいけい)の勧めに従って豪奢(ごうしゃ)な生活を送り、遊興の費用を賄うために人民に重税を課した。なかでも、江南から奇石珍木を徴発して都に運ばせた、いわゆる花石綱(かせきこう)は江南の民衆を苦しめ、方臘(ほうろう)の乱(1120?1121)を引き起こす原因になった。また山東一帯では、『水滸伝(すいこでん)』で有名な宋江(そうこう)らの反乱が起こった。そのころ東北地方にいた女真(じょしん)族が遼(りょう)の支配を脱して独立、金(きん)を建国し、南に侵入して遼を滅ぼし(1125)、さらに南下して都の開封(かいほう)に迫った。そこで位を子の欽宗(きんそう)に譲り、教主道君皇帝と号した。翌1126年、再度の金軍の侵攻を受けて開封は陥落(靖康(せいこう)の変)、彼は欽宗とともに捕虜となって北に送られ、五国城の配所で没した。政治の才能はなかったが、詩文をよくし、書では痩金体(そうきんたい)とよばれる独特の書体を創始し、画でも院体画の大家であって、その花鳥画は日本の大名たちにも愛された。また全国から書画、骨董(こっとう)を収集して、古器物研究の風を興し、宮廷に書画学を設けて芸術家の養成に努めるなど、文化の保護に力を入れたので、宣和(せんな)時代とよばれる美術の黄金時代がつくられた。

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